愛知の低い山を適当に散策。低山でも気分はyo-ho ―――!


岩村城跡〜水晶山〜三森神社〜三森山〜水晶山〜岩村城跡

それなりのアップダウンを楽しむ(^^♪

今回は岩村歴史資料館の駐車場を起点に水晶山〜三森山の周回を予定していた。が、諸般の事情で岩村城跡出丸駐車場を起点の周回に変更した。

水晶山までは一本道。その先の岩村ダム分岐で一旦、岩村ダム方向へ下り、そこから三森神社経由で三森山とした。分岐から林道までが急斜面で登りはかなりきつくなるので、敢えて時計回りのルートにし下りで使った。


山行き日 2018年3月17日(土) はれ一時くもり
山名 水晶山(すいしょうざん) 三森山(みつもりやま)
登り口/場所 恵那市岩村町(岩村城跡・出丸)
標高 958m・1100m
標高差 395m(累積標高:1222m)
距離 11.94km
時間 5時間58分(山行時間:4時間34分)
あてにならないお疲れ度 ★★★☆☆

【ルートタイム】岩村城跡・出丸駐車場09:34〜10:42水晶山10:43〜11:17三森神社鳥居〜12:01三森神社12:51〜13:14三森山13:21〜14:05鈴ヶ根展望所14:29〜14:49水晶山14:51〜15:32岩村城跡・出丸駐車場

出丸駐車場まで登って来ました。

 

向こうに見えるのは本丸跡です。

 

出発の準備をしている間…

 

ちょっと一服 ゚゚゚゚゚-y(^。^)。o0○ プハァー

 

ヤマ友のtaimuさん登場! では、出発しますかねぇ〜(^^)/

 

登り口は、すぐにあります。まずは水晶山を目指します。

 

最初は緩やかな登山道ですが…

 

地味ながら、徐々にきつくなってきました(;´・ω・)

 

ルートには道標がしっかりあります!

 

歩きだして約1時間。やっと958m水晶山に到着です。

 

三角点はありません。眺望もありません。では、今度は岩村ダム手前まで下ります。

岩村ダム分岐まで下りて来ました。ここを左へ入ります。

 

左折して暫くは緩やかですが…

 

一気に激下りとなります。

 

さぁ!屁っ放り腰で下りますwww

 

林道まで下りました。

 

道標は石仏が並ぶ山道にナビゲートしています。

 

我々は表参道から登り返しますので、反対側へ進みます。

 

すこし林道を歩いて…

 

三森神社の鳥居に到着。

 

鳥居横に三森山の謂れが書かれた説明文の立札がありました。下に原文のまま備忘録として掲載しておきます。

鳥居を潜り登って行きます。ここは参詣道ですので整備されています。

石仏が33体祀られているとのこと。

 

あと500m。これがさり気なくキツイ(;´д`)トホホ

 

清めの水はありません。

 

あらぁ〜Σ(゚Д゚) 以前はちゃんと立っていたと思いますが…

 

明るくなっていると思ったら…

 

工事現場でした。

 

林道開設工事でした。

 

上の鳥居。そして山頂への分岐。鳥居を潜って神社の展望台へ向かいます。

あそこからパーッと開けます!

 

眺望を楽しむ前にお約束の「カンパ〜イ」(^^♪

 

本日の山めしランチは「シュウマイ」。今日はお皿も辛子もありますww

千切りキャベツを敷いて蒸すだけ。

 

いびつな鍋蓋をかぶせます。

 

寒かったので、ちょっと時間がかかりましたが、出来上がりました!

 

山座同定板が設置されましたね。去年の3月とのこと。

 

じゃあ、眺望もおかずになります(^^)v

 


中央に「笠置山」 右には「二ッ森山」 一番左端は「秋葉山」 雪山は「白山連峰」ですよね♪ そして阿木川ダム

 

眼下には「農村景観日本一」の岩村町富田地区が見渡せます! 遠くの山々は何処でしょうか? 同定板には伊吹山、能郷白山…と書いてありますが…

こっちは、岩村の市街。そして「屏風山」

 

手前に、さっき登って来た「水晶山」。遠くに「猿投山」そして「三国山」

寒い中、1時間近く滞在。そろそろ山頂へ向かいましょう♪

三森神社。来た時にお参りしました。

 

鳥居を潜り、左折します。

 

かなり低い位置に張られた注連縄を潜ります。

 

奥の院はパスさせて頂きます。

 

山頂へ向かいます。

 

そこから上矢作の「風の森」が見えます!

 

13基の風車。中央辺りが展望台。左のピークが「荒峰山」、そして右のピークは「大船山」

 

さて、ちょっと急な場所を登り返すと…

 

山頂が見えました。

 

は〜い!1100m三森山の山頂です。狭い山頂です♪

 

taimuさんと記念撮影ww

 

山頂からの眺め。今から向かう鈴ヶ根尾根がみえます。

遠くに見えるのは「猿投山」

山頂にある三等三角点(点名:富田)を摘まんで周回します。

 

こんど目指すのは「鈴ヶ根尾根」です。この先、痩せ尾根が続きます。
山頂周辺にはイワカガミの群生しています。見ごろは4月中旬から5月上旬とのこと。

下りは慎重に下りてくださいよ(^^♪

 

この三角点、地形図には載っていません。

 

鈴ヶ根尾根に入って来ました。

 

そうそう、このトイレ、勇気と度胸が必要ですww

 

taimuさん、トイレを確認中www

 

鈴ヶ根尾根からの眺め。まずは御嶽山。生憎、雲がかかってしまっています(;´д`)トホホ

 

こっちは三河の山々。右は炮烙山でしょうか?中央は寧比曽でしょうか?

再度、猿投山ww

 

taimuさんにコーヒーを淹れて貰いマッタリ(*´ω`)しました。そろそろ出発しましょう♪

林道を横切ります。

 

ヒノキ林を抜けます。

 

四等三角点(点名:水晶山)を一つまみww

 

岩村ダム分岐。ぐるっと一回りしてきました。

 

キツイ登り返しをやっとこさで水晶山に到着。taimuさん爽やかな顔をしているww

さぁ!一気に下って行きます!とは行きませんww

 

こっちは四等三角点(点名:水晶)。こっちも摘まんでおきますw

 

登り口に戻りました。 は〜い!到着。お疲れ様でした\(^▽^)/
   

三森神社鳥居前に「三森山」について…という説明文が立っていたので備忘録として記載しておきます。

内容は以下のとおり(原文のまま)

標高1100mの頂上に立てば阿木、岩村、山岡の各方面まで一目で見下ろされ、天が澄み渡れば伊勢の海も見える眺望絶山で頂上には三森神社・帝釈梵天が祭られている。
昔からの里伝によれば阿木の血洗池で天神が子を産まれた時、その胞衣(えな)を絶たれた鎌をこの山に祭りその胞衣は恵那山に埋めたと言う。又、道辺の各所には33ヶ所にその昔に里人の肩と足、背中で持ち上げられた石仏が安置されている。
人の深さ高さ、又重みの心の巾と心、道に静かに想う己が山にて

(原文の胞衣は、衣編に包で書かれていた)

おまけ

時を知らせる「太鼓櫓」

 

岩村城下。

 

太鼓櫓と表御門。

 

お蔵。

 

太鼓櫓のいわれ(説明看板に以下のことが書いてあった)

  太鼓櫓の言われを記す前に、岩村町のシンボル「岩村城」の歴史を記さねはならない。「岩村城」の歴史は800年前まで遡る。源頼朝の重臣「加藤景廉」が、この地の地頭に任じられ築城してから、鎌倉・室町を経る約400年「戦国の世」まで美濃遠山氏の居城となっていた。
戦国時代には、天下を狙う織田・徳川の接点に位置したこの城は、いやが上にも戦乱に巻き込まれ、女城主の登場や森蘭丸の入城、美濃遠山氏本家の滅亡など悲しく華々しい時代を経て江戸の時代に至った。江戸時代には松平・丹羽など譜代大名の居城として、明治までの300年間「城」が存在すると共に、この東濃地方の中心として「城下町」は大いに栄えた。
 江戸の平和な時代になると、城主が城の山頂(本丸)に住む必要がなくなり、慶長六年(1601年)城主「松平和泉守家乗」は、白の山麓に藩主邸を造営した。以後ここは政治の中心としての機能を果たす一方、”太鼓櫓”を設け城下に時を知らせ続けたものである。
 「時」を知らせる為の”櫓”は、庶民と殿様との深い絆を象徴する建物であり、今岩村町が進めている遠大なふるさと創生事業「作ろまいか女城主の里事業」のモニュメントとして相応しい建物である。
 また「作ろまいか女城主の里事業」は、現在各地で造られている鉄筋コンクリート造りの城など偽物ではなく、あくまで「本物の城復元」を主体に、超長期計画により城全体や城下町を復元・再現する計画である。

   
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